相生から天草へ オリオン33回航

【天草まで回航のお願いをしたいが?】
同業者Y氏は信頼できる紳士
『引き受けますが 艇の状況は?』

後日 購入予定のT氏から直接連絡が届く
回航費用の見積もり依頼である
『当社で整備した艇は回航しますが 回航のみは業務外ですので
関係先の西山氏に依頼します
艇の整備状況は 出航可能な状態ですか?』
2009年 秋のこと

2010年 6月
T氏:『引渡しが完了したので 回航を依頼します』
艇の状況を詳しく尋ねた
とかく『私の艇はキレイでベストで いつも手入れしています』
そんな艇を引き受けて 緊急入港の経験は枚挙に暇が無い
想定される修理の材料 部品 工具を準備して
西山回航員の到着を待つ

6月13日、、11:30回航用具を車に載せて、慌しく出発、12時までの高速割引が
利くうちに、高速道路に入った。一路兵庫の相生を目指す。関門橋のPAで一休み、後ろの
席でぐっすり眠らせてもらった。

6月14日朝、9時過ぎ相生ボートパークに到着、早速大須賀氏はボンベを担いで船底
掃除に潜った。2年以上放置されていたオリオン33は見事なまでの牡蠣養殖場と化して
いた。1時間以上大須賀氏が船底の牡蠣落とし作業をしている間に回航用具を積み込んだ。

燃料フィルター ベルト オイルの点検
エンジン試運転
トランサムの排気に冷却水が出でこない
排気エルボが完全に詰まっている
ニップルを外して掃除

一通り出航できる体制になったので、食料などを買い出しに行った。準備が整ったので1
4:00すぐに出航、とりあえず、直島を目指すことにした。微風だが風向きがよさそう
だったのでメインセールを揚げた。

この付近の漁をしている漁船は、船尾から長いブイが付いた網を流している。豊島横で
そんな漁船に遭遇したため、大きく進路を変更しながら直島積浦漁港に明るいうちに入港
して、奥に良さそうな桟橋があったので接舷した。散歩しているお年寄りに聞くと岡田さ
んという網元の家まで連れて行ってくれた。網元は泊めている場所を確認すると「泊めて
も大丈夫」と快く承諾してくれた。夕食を食べるために近くのお好み焼き屋に行った。こ
の部落にはここしか食べるところは無いらしい。庭をきれいに手入れしていて、入ると土
足厳禁、普通の民家の様な佇まいの店だったが、お好み焼きだけでなく普通の食事も出来
たのでありがたかった。

 

 

6月16日朝、まだ天候は回復していないが徐々に良くなるとの天気予報、出航するこ
とにした。出港前に「だるま」のオーナーが、焼酎を差し入れてくれた。ありがたい。蒲
刈島の横を航行しているときはまだ曇っていたが、予報通り回復してきた。湿度が高いの
だろう、近くの島に濃い霧がかかっている。ほとんど無風状態なのでその霧も移動しない
で山の端に留まっている。

関門を目指しているので本州よりにコースを引いた。穏やかな内海を心地よく進んで行
く。呉の方から潜水艦が西進しているのが見える。その時、連休に立ち寄った上関の橋が
目に入った。何の気無しに90度転進して上関に向かった。橋をくぐって上関港の以前に
着けた岸壁に接岸した。ポリ缶を持って上陸してから近くのガソリンスタンドに燃料調達
に行った。途中にある漁協の看板が、貯金の貯が抜け落ちて「金は漁協へ」となっていた。
なかなか直接的な言葉だなと妙に感心してカメラに収める。店員さんから軽トラで送って
もらい、ポリ缶全てを満タンにした。

さて、燃料タンクも満タンにして関門目指して出航しようと始動スイッチを入るために
キャビン内を見たら、なんと!ビルジが溢れて床板が浮いている。慌ててキャビン内に入
ってバースクッションを上げてビルジポンプを動かしたが、埒が明かない。バケツを持ち
出しコンパニオンウェイから外に汲み出すが、一向に減る気配が無い。足を取られて転ん
だ拍子にライフジャケットが無意味に膨らむ。その時外で女の人の声がした。「こんにちは
〜、今晩ここに泊めるんですかぁ?」と、呑気な声が聞こえて少し腹が立った。こんなに
慌てている時に私が返した返事「ごめん、忙しくて相手している間がないんよ。すぐに誰
か呼んでっ、船が沈む!」とバケツで水をくみ上げながら怒鳴った。彼女は最初何が起こ
っているのか理解できなかったようで、ちょっと間が空いたが、すぐに漁協の人に連絡し
てくれたらしく、船舶の整備をする人が来た。水中ポンプを持ってきてもらったが、電源
が入らない。「新しいものしかないけどどうします?」と聞いてきた。新しいものでも何で
もこの状況なら要るだろう、「何でもいいから早く持ってきてっ!!」と叫んだ。

水中ポンプが作動してビルジの排水が何とか出来だした。2台のポンプを使って排水を
していくと洩れている箇所はスターンチューブのPSS(パックレスシーリングシステム)
だった。PSSのロックボルトが抜け落ちて外れてしまったらしい。グランドパッキンでは
ありえない事故だ。整備士の兄ちゃんがなんとか合うボルトを探してきて取り付けてくれ
て、寸でのところで沈没は免れた。後もう少し水かさが増していたら、セルモーターやバ
ッテリーが水没して、仮に沈没が免れても電気系統がやられていただろう。危機一髪だっ
た。不思議だったのは、その後いくら狭いエンジンルームの中を探してもロックボルトが
見つからなかったことだ。ロックボルト無しでここまで来れたことは奇跡としか言いよう
が無い。

一息ついて、びしょ濡れになった私を整備工場の兄ちゃんが軽トラで風呂に連れて行っ
てくれた。途中、整備屋さんに連絡してくれた漁協の職員の人にお礼を言いに立ち寄った。
それから離れたところにある風呂屋まで行ったが、どこも開いていなくて結局工場に戻っ
てから、そこの風呂を借りることになった。お陰でさっぱりとすることが出来た。社長も
含めて皆さん親切な人ばかりでありがたかった。新品の水中ポンプの代金と作業費を支払
った。水中ポンプ代を含めて、良心的な金額で助かった。門脇マリンサービスさん、あり
がとうございました。

最初に人を呼んでくれたのは上関町役場の支所の女の人だった。無事に済んだことと今
夜停泊するための手続きをするため支所に出向いた。停泊許可を出して(5トン未満は無
料)事後報告とお礼を述べると、「良かったですね、よほど日頃から徳を積まれているので
しょうね。」と言われた。黒い顔が赤くなり、なんと返答していいのか困ってしまった。

艇に戻って改めてキャビン内を見ると散々な状態だ。今日中に出航するのは諦めて正解
だった。この艇は船底の隔壁が繋がっていないので、各隔壁に囲まれた場所の水はその場
所ごとに取り除かなくてはならなかった。スポンジを使って取り除く作業は延々と続いた。
残水はバケツ20杯以上もあり、へとへとに疲れてしまった。なんとか作業が終わった頃
にはすでに午後6時を過ぎていた。

腹が減ってきたのでどこか食事が出来るところを探したが、ここは6時以降は全ての店
が閉まるらしくどこも開いてなかった。仕方ないので、キャビン内でお湯を沸かしてイン
スタントラーメンで夕食を済ませた。少し横になったらすぐに眠ってしまった。

6月17日、目を覚ますと、艇はまだ無事に浮いている。ロックボルトが少し長いのが
気になるが、エンジンを掛けて舫いを解いた。スクリューを回すとやはり振動がある。回
転数を少し上げるとなんとか振動は止まった。これなら行けるだろう。ここに居ても問題
は解決しないのだから行くしかないし・・・
宇部沖を走る。以前宇部の海上保安署の知り合いの職員から韓国籍のヨットが座礁した
事を聞いていたので、少し沖にコースを振る。関門までは結構長かったが、15:00に
予定通り海峡に進入した。潮の表示は3ktの逆潮。これなら通過できると思いいつもの
ように九州よりを通って関門橋の下を通過した。最速5ktくらいの潮に押されたが無事門
司の漁港奥にある浮き桟橋に接舷した。隣に「かざぐるま」Y-31EXが泊まっていた。オー
ナーの南さんは国内の長距離航海のベテランで、日本一周をするつもりで日本海側に行っ
ていたが、セールを傷めたり、もろもろの事情で途中から引き返しているところらしい。
名刺の苗字と名前の間が空いているので「ま」を抜くとサルになるなんて面白いことを言
っていた。ヨットをするために会社を退職したなんて、どこかで聞いたような話しをして
くれた。そこに船舶に食料を卸している新座さんという人が訪ねて来た。ご自身でスプレ
ンダー27ftを所有していて田ノ浦漁港に停泊させているとのこと。仕事が忙しく憧れのク
ルージングが出来ない代わりに北浜ヨットのHPを見ているらしく、その中の小生の回航
記録が楽しみだとのことだった。結構拙文を見ている人がいるらしい。嬉しくもあり恥ず
かしくもあり。
さて、暫くして着るものが昨日の浸水騒ぎで濡れて着替えが無くなっていたので、近く
のコインランドリーに行くことにした。歩いていると大須賀氏から連絡が入った。1時間
ほどで到着するとのこと、それにSATIIの廣田氏も来るというので、とりあえず引き返し
た。程なくして廣田氏が到着。南さんと廣田氏は面識があるらしく、暫し3人で談笑。そ
うしていると、大須賀氏としんちゃんも到着した。南さんは木彫りのアクセサリーを作る
のが得意らしく、彼の作ったきれいなループタイをプレゼントされた。

門司

筑前大島

6月19日朝、連絡船の待合所が開いたのでトイレを借りて、近くに食料品店は無いか
聞くとまだ開いていないと言われた。困っているとその待合所の職員の人が自分のパンを
分けてくれた。ここでも親切な人たちにめぐり会えて幸せな気分になった。(後に大須賀氏
が、みすぼらしい格好をしている年寄りと船を見たら、かわいそうに思うのだろうなんて
憎まれ口を言っていたが、そんなにみすぼらしく哀れなヨット乗りに見えるのかねえ??)
6時前に出港した。一路平戸を目指す。17:00予定通りに到着、先に奥の桟橋に着
けてから目の前にあるガソリンスタンドでポリ缶2つに燃料を補給してから普段着ける市
営桟橋に艇を回した。先客が1艇入っていて、そのクルーが舫いを取ってくれた。先に着
けていた艇は、新艇と言われてもそうかと思えるほどすごく丁寧に手入れされた「なかよ
し30」で、これから五島に売却されて津屋崎から回航される途中とのことだった。暫く
クルーの人や旧オーナーと話した後、いつものようにオランダ塀が残る坂を登って温泉に
行った。高台にある旗松亭の展望風呂を一人の貸切状態で贅沢にゆったりと浸かった後、
コンビニで食料を調達してからいつものように居酒屋「清風」に行った。表の改装工事を
していたが開店していた。正面を町並みに合ったデザインにするので補助金が出るそうだ。
以前知り合った客が一人居て、暫く3人で飲んでから疲れたので艇に戻った。すぐに眠り
に付いた。

アルミ艇

平戸

6月20日、3:30起床。天候が悪いが4;00に出港する。まだ暗いので航海灯を
点灯する。平戸大橋をくぐった頃から視界が非常に悪くなってきた。50mがいいところ
か、頼りはGPSのみ。平戸水道を南下している間に数杯本船がすぐ側を通過した。まあレ
フレクターを上げていることだし、相当右側に寄せているし、これ以上は避けようが無い
から行くしかないと覚悟して航行した。
狭い水道を南下して佐世保沖に差し掛かる頃から視界は回復してきたが、正面からのう
ねりを伴った波と風で速度が上がらない。少し焦りを感じながら進んだ。雨と波しぶきは
筑前大島でもらった傘が防いでくれている。お陰で雨もひどくなったこんな海況の中でも
比較的快適に航海出来ている。長崎沖に差し掛かる頃、正面からのうねりが大きくなり雨
もひどく最悪の天候になってきた。風も少しずつ強さを増しこれも正面。
コースを微調整しながら12:00頃、野母崎沖にやっと到着した。平戸で聞いていた
野母崎の漁港に1泊することも考えたが、風下側で少し風も強かったので入港は取りやめ
一気にゴールのマリーナを目指すことにした。当然夜間入港になるのでリスクは増大する
し、早崎瀬戸より先は全て逆潮になる。船足が伸びないことは承知の上で、早くこの航海
を終わらせたい気分になっていた。
ここから東にコースを振ったので、今度は斜め横からのうねりになるため、甚だ乗り心
地が良くない。島原半島口之津沖早崎瀬戸に到達するまでこの状態は続いた。
有明海に入るとやっとうねりも無くなり平水面になったので、平戸を出てから初めてお
湯を沸かして食事を摂った。天草三角の1号橋までは平穏な航海が続いた。逆潮で距離は
稼げないが、予定の22:00、1号橋のある水路に進入した。オーナーと携帯で連絡を
取り入港予定時間を告げる。真っ暗で周りが良く見えないのでGPSのみを見ながら進む。
中央にある島が間近に見える。なんとか曲がりくねった海峡を無事通過して、東側にある
マリーナを目指した。雨が降っているし、周りの光で海面が見えづらいので、本当にGPS
しか頼りにならない。
目指すマリーナが見えた。しかし進入路が対岸からのヘッドライトの光でよく分からな
い。オーナーから携帯で指示してもらいながら、やっとマリーナの入り口を見つけてから
進入した。雨がひどくなってきた。オーナーと大須賀氏がバースの上で出迎えてくれてい
る。車のライトでよく見えなかったので消灯してもらい、指定のバースに無事接舷した。
23:30、ミッション完了。艇からそそくさと搭載品を下ろして車に積み込むと、その
まま陸路別府に戻った。高速道路を鳥栖経由で次の日3:00に別府に到着、事務所のソ
ファーで死んだように眠った。

 前回の方がトラブルになる確率は遥かに高かったと思う。しかし、今回のオリオン33
の方が沈没する可能性は大きかったし、少々パニックに陥って今までに無い怖い思いもさ
せられた。まだ荒天帆走の方が、覚悟を決めて走っているだけに気楽だ。もし沖で今回の
ようなトラブルに見舞われたら、間違いなく対処できずに沈没の憂き目に会っていただろ
う。PSSの知識は無かった訳だし。やはり神がかり的な、自分の意図しない力が働いてい
るのかなあ?・・・
よく考えてみると、無難に終わった回航はこれまでも余り無かったように思う。初めて
乗る艇ばかりだから様々なリスクを背負って、当然今回のようなトラブルに遭う確率は高
い。経験を積むに従い、観天望気はある程度正確に出来るようになった。関東から沖縄に
至る海域についても、地理や海況は大体把握できた。生還できる確率は以前とは比べ物に
ならないほど高くなっている、トラブルの対処についても対応が出来る。出港する判断や
航海計画の立案も、的確になったと思うが如何せん、歳を取って体力が不足してきた感は
否めない。いつまでこんな楽しい?仕事を続けられるか分からないが、まだ海とヨットが
好きな間は、いつも海原に出ていたいと願っている。

今回も色んな危機的トラブルに見舞われた中で、親切に手助けをしてくれた方々に心よ
り感謝します。ありがとうございました。



瀬戸大橋

宮の窪

6月15日、直島出航、大崎下島を目指す。大須賀氏が潜って船底掃除をしてくれたお
陰で対水速度は6kt強をキープできている。潮に乗せれば8kt以上はなんとかなる。
船足が伸びると気分的には非常に楽だ。瀬戸大橋下を難なく通過、天候がいまいちで、雨
に煙る大橋の橋脚の上はガスがかかって見えない。本船航路に沿って西進する。視界は1
00m以下で良くないが、こんなときGPSはありがたい。宮の窪瀬戸も急遽設置したオー
ニング代わりのセールカバーに隠れながら、操船して難なく通過。その後出口付近で潮止
まりになる。

17:00大崎下島の「豊海の駅」に強い雨と逆潮の中、到着した。ここは昨年閉鎖さ
れたと聞いていたのでバースがあるかどうか心配していたが、十分に空スペースがあった
のでそこに泊めた。33ftには少し窮屈なバースだが岸壁に着けるよりはいい。西宮か
ら来た先客の「だるま」が停泊していた。思い切り干潮で低くなったバースから急なタラ
ップを登って、売店に行き入港届けを出して風呂に入れて欲しいと言うと以前の浴室は使
っていないので客室のユニットバスを使うように言われた。料金は500円、豊か海の駅
のタオルがもらえて、石鹸シャンプーもある。しかし、まだ不慣れでどこまでサービスを
していいか分からないとのことで色々と質問を受けた。以前に夫婦で浴室を使ったヨット
マンが奥さんが入った後の浴室を清掃していないと、こっぴどく叱られたそうな。たった
500円で風呂に入れてもらえるだけでもありがたいと思えるのだが。とにかく以前より
に比べて、突然事前連絡なしに入港しても食事を作ってくれるし、風呂も入れる。かえっ
てサービスが良くなっている。橋が出来て呉市に編入されてから宿泊施設を含めて民間が
管理者となって再オープンしてしたそうだ。名称も「とびしま館」に変更されていた。こ
こは日本で最初に認定された「海の駅」発祥の地で、「さいき大入島海の駅」をオープンす
るとき、参考にするために視察に来た施設だっただけに昨年閉鎖されたと聞いて、寂しく
感じていたので嬉しかった。呉市も海の駅の閉鎖は望んでいなかったようだ。その後暫し
「だるま」のオーナーと談笑、九州の泊地情報を提供する。
 
整備はしんちゃんに任せて、我々悪い大人たちは対岸の下関に繰り出した。久しぶりに
関門トンネルを通って廣田氏が定宿にしているホテルに着くと、ホテルのコインランドリ
ーに洗濯物を放り込み、最上階で海峡を眺めながら贅沢な晩餐を楽しんだ。その間に洗濯
もやったので効率のいい時間の過ごし方が出来た。これも沈没を免れたからこそ出来る楽
しみだ。暫し持病のことは忘れて、飲み放題をいいことに生ビールを痛飲する。
しかし、ここだけで悪い大人の時間が終わるはずが無い。ホテルから出ると廣田氏行き
つけのスナックで飲み続けた。しっかりと酔っ払った後、しんちゃんが迎えに来た、とこ
ろまでは覚えている。が、艇に戻った頃はしっかりと記憶を無くしていた。
6月18日、起きたが頭が痛い。しかし、何か腹に入れて出航しようと思い町に出た。
そこに廣田氏の車が偶然近寄ってきた。昨日小銭入れを忘れていたらしく届けてくれたと
のこと。一緒に近くのジョイフルに朝食を食べに向かった。食べた後、艇まで送ってもら
った。彼は医療関係の会社に勤めている。私も昔医療現場に居たので少し分かるのだが、
車の中に血液ガスを調べるポータブルな機械を載せていた。以前現場で私たちが使ってい
たものとはまるで大きさが違い手軽になっていることに隔世の感を感じた。
艇に戻り、すぐに出港準備をした。隣のオーナーに別れを告げ、安航を祈った。少し逆
潮だったが、5kt弱で海峡を抜けた。さほど雨もひどくなかった。出港が遅れ二日酔い
気味だったので、無理をするつもりも無く、目的地を筑前大島にしていた。
夕方16:30大島到着。早速もじゃこ食堂に夕飯を食べに行った。すでに営業は終わ
っていたらしいのだが、女将さんは特別に作ってくれた。前日私の話をしていたそうな。
帰る際雨が降り出したので傘をもらい、ついでに土産にみかんまで戴いて艇に戻った。